南加広島県人会 創立100周年記念
10月10日、南加広島県人会の創立100周年を記念する祝賀会がモンテベロで開かれました。会には、南加広島県人会の会員をはじめ、日系コミュニティーのリーダーなど678人が、お祝いに駆けつけました。まず、向井司広島県人会会長が100年間の歴史を振り帰り、今後の更なる発展を誓う挨拶をしました。また、広島県から、今年着任した湯崎 英彦広島県知事も駆けつけ、長年に渡って、南加広島県人会に尽力した人たちに表彰状と記念品を贈呈し、その労をねぎらいました。南加広島県人会は1910年に設立。南カリフォルニアにある他の40県人会に先駆けてロサンゼルスのダウンタウンに、初めて県人会ビルを建設するなど活発な活動を続けてきました。近年は、5年前に若者向けにサブグループ「HIROKEN」を県人会内に設立するなど次の100年に向けて、次世代への継承をはかっています。。
高瀬隼彦
125年間、様々な歴史と共に表情を変えてきた街、リトル東京。そんなリトル東京の片隅で、今月、ある展示会が開かれました。そこには、リトル東京のシンボルとして君臨するビルの姿がありました。展示会の主役は高瀬隼彦さん、80歳。建築家です。高瀬さんがロサンゼルスに来たのは1962年。大きな使命を背負っての渡米でした。当時、ロサンゼルスのダウンタウンは、近代化が進み、官公庁の建物も
新しく建設されていきました。市役所もその一つ。3階建てのビルがやっとのリトル東京を見降ろすかのような存在感でした。ただでさえ、終戦後、日本人の姿が少なくなり、活気を失くしていた街にロサンゼルス市は自力での復興を要求してきました。リトル東京にも象徴的な建物が必要。鹿島建設はそんなビルを建てるために高瀬さんをロサンゼルスに送りこみました。高瀬さんは、低予算をやりくりし、その結果、1フロアの面積は狭いけれど、当時としては画期的な16階建ての高さを誇る鹿島建設ビルを誕生させました。日本社会の求心力となるビル第1号です。高瀬さんのビルには日本の伝統が姿を残しています。旧ホテルニューオタニもそのひとつ。ホテルの屋上の庭園には滝が流れています。高瀬さんがリトル東京に設計した建物は8棟。それらのビルを中心に、リトル東京には、多くの日本人が足を運ぶようになりました。日本文化などを楽しむ人々の活気溢れる姿で、街はあふれかえり、日本人の心のよりどころとして発展していきました。その再開発からおよそ35年が経った今、リトル東京の風景に変化が見られるようになりました。そんな街を見て、高瀬さんは、次世代のリトル東京をつくる決心をしました。ロサンゼルスストリートの片隅にある、小さな駐車場が、高瀬さんの夢の発信地。ここに、36000スクエアフィートの武道館の建設を描いています。専用道場が 部屋設けられる予定で、柔道や剣道など、日本の武道を本格的に行える体育館には、日本人や日系人だけでなく、他のコミュニティーの子供たちが集まってくる構想です。リトル東京が、日本文化の発信源となるのが高瀬さんの新しい街づくり計画です。今、一人の建築家が、リトル東京に新しい表情を作ろうとしていました。今後、この街が、日本文化の発信拠点としてさらに輝いていくことを期待したいと思います。
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